ごさんねんのいくさ【後三年の軍】
読者カード 項目 2026年08月17日 公開
| 用例: | 程なく家衡武衡を滅し、豐けき御代になりしとかや、是ぞ後(ゴ)三年(ネン)の軍(イクサ)とか、八幡殿の其才又類あらじと言傳ふ。〔自序〕 |
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| 『前太平記圖繪』 1803年 秋里籬嶋 | |
| 語釈: | 「ごさんねんのえき(後三年の役)」に同じ。 |
コメント:取り敢えず
編集部:第2版では、この語形では立項されませんでした。ちなみに、「後三年の役」の語釈は、「平安後期、永保三年(一〇八三)から寛治元年(一〇八七)にかけて奥羽地方で行なわれた戦役。前九年の役で奥羽地方を制覇した清原武則の子武貞の没後、真衡と家衡・清衡(ともに武貞の実子および養子)の間で紛争があり、真衡の死後には家衡と清衡が争った。この頃、陸奥守として源義家が入国して両者の調停をはかったが失敗し、清衡の請に応じてこれをたすけ、叔父武衡と組んだ家衡と対抗した。戦役は、寛治元年に武衡らのこもる金沢柵を攻落して清衡方の勝利に終わり、清衡は奥羽両国の押領使と鎮守府将軍を兼ねて、以後の平泉を中心とする藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)の栄華の基を開いた。他方、義家に対して、朝廷は私闘とみて行賞しなかったが、義家もこの戦役を通じて東国武士団を組織動員し、源氏の東国における勢力基盤を築いた」となっています。
著書・作品名:前太平記圖繪
媒体形式:単行本
刊行年(月日):1803年
著者・作者:秋里籬嶋
掲載ページなど:4ページ後ろから6行目(「日本歴史圖繪 第六輯」、1922)
発行元:國民圖書
